変光星はずっとこの空で

いくつかの星座について

ひらいて むすんで とじて

2021.11

 

 

 

中学生の持つありがちな衝動、わたしの全てを、ぶちまけたいという衝動が抑えきれなくなった時、いつも聴くのは大森靖子の「君に届くな」だった。

 

拗れに拗れた自己意識の中で、運命と勘違い真っ直ぐに思いをぶつけ続けた。相手がそこにいなくても愚直に愛し足掻くこと、今はそれこそが、本当だった様な気がしている。それこそが美しかったのではないかと。可愛い愚かさが。

 

 

2018年の10月、家に引き篭って読んだ小説。ひらいて。読後のメモには、"極彩色で鮮烈な衝撃と、白く善い人の美しさ、届かない殻の中"、と書いてあった。

 

 

2021年10月29日、わたしは高校3年生になり、再び『ひらいて』に触れに行った。あの頃の少女を救いにゆくような心持ちで。

 

 

 

 

 

 

 

 

過去を重ねるつもりでいたのに、映画の世界は今の自分の生きる場所そのままであった。

高校3年生の秋、教室のドアの音、カーテン、見上げる校舎、社会科の先生が独特な口調なこと、橋、ゲーセンの配置。愛も、美雪も、たとえも、すぐ近くにいそうで、その世界が今の私に、水のように浸透した。

 

 

愛ちゃんは、自分の名前が嫌だっただろうな。

愛と憎しみとは紙一重で、相手に自分の思いをぶちまけたり、傷つけたり、見下すことも"愛ゆえ"。自分が見向きもされず、必死で孤独で滑稽であればあるほどに、作り上げた象は歪んでいく。

 

 

 

恋がしたい、と性欲がまだ混ざったままの思春期たち。己の衝動に従って動き続けられるエゴ。喰い喰われ、呑み呑み込まれ、消耗しあうことを求める純粋さ。

 

 

君は、どこの席にいようがどんな視線をしようが絶対にひらかなかった。でも愛になる努力が足りなかったのは私の方だったのかもしれない。